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公開日:2018/03/25

予防について

【異業種から学ぶ、Missionインタビュー】 ガーデングループ代表 密山根成さん ~どうしても理念が必要だった~

栄枯盛衰のパチンコ業界で、売上1000億円超で、堅実な経営が注目されるガーデングループ。そのトップである密山社長は「最初は、パチンコは嫌だった」という。「家業から企業化のために勉強し、理念を創り上げていった」と赤裸々に語ってくださった。パチンコ業界に進むことを決意して今日に至るまでを聞かせて頂いた。
 

密山社長とのご縁


売上1112億円 (2017年度) 。右肩上がりを続けるガーデングループの経営者 密山根成さん。
インタビュー前に、「緊張しますね」と謙虚な方。
KIT(金沢工業大学)虎ノ門大学院の山田先生、岡本先生の授業でお会いした。
以前から、ケアプロの健康チェックをガーデングループのパチンコ店では導入していただいており、お会いできて嬉しかった。後日、改めて、日比谷の東京オフィスに伺うと、取締役兼社長室 室長で、川添と同じ年の暉和さんにもお会いする。そして、インタビューを申し込んだところ、快諾してくださった。
朝9時、朝礼の声が隣のオフィスから聞こえる中、インタビューは始まった。
 

パチンコに、真剣に悩み、真剣に取り組み

密山社長は、パチンコが嫌いだった。
「父が、高校3年生の時に亡くなり、その後、店に出るようになった。」
「最初は、パチンコに関わろうと思っていなかった。」
「しかし、やるからには、潰れないようにしなければ。」
父が始めたパチンコと、苦労した母の強さが、密山社長がパチンコ店を経営する背景として大きく影響した。
 

理念は、初めからあったわけではなかった


「個人経営ではなく、企業化していくために勉強を始めた。」
「企業としての理念を最重要視しており、個人経営との大きな違い。」
 

理念の背景には、人があった

「今は、いい人が集まっている。」
「90年代、求人広告で集まる人の中には、ボストンバッグで店に来て、ある程度お金がたまると辞めていく人がいた。時には、字が読めないなど識字に問題がある人もいた。」
「新卒採用や銀行からの出向を始めた。パチンコ業界では珍しかった。それでも、店舗数を増やす中で人材採用が必要だった。」
 

理念を、社員と作る

「1994年に初めて理念ができた。この94年が第二創業の年。」
「そして、2009年に、改めて社員と一緒に理念を作った。」
【ガーデングループのMission】
私たちは、一人一人が経営者として常に改善変革を続け、ふれあう人々の楽しさと豊かさを実現します。
 

理念は不変、業界はスクラップアンドビルド

「業界全体の収益性も落ち、過去のようにゼロから作り、長期で回収するパターンは難しい。」
「自社の店舗を改修したり、他社の店舗を継承したりすることが増えた。」
「今後、M&Aでの事業拡大を重要戦略として取り組んでいく。」
取締役兼社長室 室長で、川添と同じ年の暉和さんにも伺った。
「昔は休みも少なかったので、普通の会社にしていきたかったという社長の気持ちが大きかった。」
「M&Aで入社した社員にはとても感謝している。“ありがたい”“恵まれている”と既存の社員にも熱く語ってくれる。」
 

理念の定着


2月下旬、「ガーデン浦和」では、ケアプロの健康チェック催事が開催された。
「今日は、血管年齢が-15歳だった。実年齢は80歳。」
理念にある「改善変革」。
健康チェックを利用されたお客様(80歳、女性)にガーデンについて伺った。
「10年ほど前から、家から歩いて通っています。」
「店舗スタッフは、家族のような存在。」
「お店のためにクレームは伝えているが、しっかり聞いてくれる」
日々の接客にも「改善変革」はあった。
ホールスタッフの斎藤さんに理念等をどのように行動しているか、伺った。
「お客様の名前を憶えている。」
「コーヒーの濃い目、クリームあり等を覚えた。覚えるコツはインカムを入れて言葉を発すること。」
「接客を良くすることで、お客様との良い関係をつくるように心がけています。」
 

編集後記


この度、インタビューの貴重な機会を頂くことができました。
様々な問題が起きたとしても、生き抜いていく人たちの想いや仕事は、繋がっています。
しかし、それは生半可ではなく、密山社長がここまで事業や組織を大切にし、挑戦し続けてこられたことには感銘を受けました。