訪問看護では、新聞は様々な形で使われている。
今日は、新聞について、徒然なるままに。
私は、小学生の時、新聞の切り抜きをノートに貼り、新聞記事について自分なりに考察していた。
中学生の時、「天声人語」を読むと、国語の試験に効果的と聞いたが、しっくりしなかった。その後、意味が理解できた。
高校生の時、新聞配達の手伝いをした時に、朝刊と夕刊、休刊があり、競合が多々あり、配り方はカートを引きずって歩くのと自転車とバイクがあり、配達するリストをどのように配れば効率的かがあり、雨の日や雪の日の対策があり、新聞配達職員として誕生日にお祝いされたり、男性たちは煙草を吸い、缶コーヒーを飲みながらコミュニケーションをし、ルーティン以外で重要なのは引っ越してきた人への営業と毎月の集金と職場の人間関係なんだということがわかった。
大学生の時、新聞から遠ざかった。テレビも見なくなった。インターネット社会に入っていった。
経営コンサルタントや病院看護師になってからは、その分野のことだけの日々が嫌だから、もっと知的好奇心を満たしたいから、世の中から置いて行かれたくないから、新聞を読み始めた。
某銀行の役員の患者さんは新聞のことについて世間話をするのが好きだった。これも社会性を失った患者さんに対する看護だと思っていた。フリーターの患者さんはスポーツ新聞でスポーツとギャンブルの話をするのが好きだった。
人によって、新聞を読む理由は様々。
ジャイアンツファンだから読売とか、株式投資をしているから日経とか。
私が、今、新聞を読んで思うのは、
・情報収集→編集→印刷→営業→配布の各フェーズで革新が起き、薄利多売モデルで社会的価値を出すモデルを学べる
・広告は、昔は車や衣料品、小売が多く、今は健食や保険、資格が多く、記事を含めて、流行が解り、未来が見通せる
・優れた考え方(ビジネスモデル、制度、思想など)や難しい言葉遣いのシャワーを浴び、思考力と国語力が磨かれる
・見出し(特に表紙に各頁の見所を端的に伝える力)やレイアウト、写真を含めたデザイン性が学べ、感性が磨かれる
自分自身の受け方で、新聞の価値は変わる。100~200円の新聞の価値が人によって異なる。
ただ、新聞業界に対して、ケアプロの経営者として思うのは、「御社の新聞ではどのような世の中を目指しているのか?どんな思いや価値観で情報を届けようとしているのか?」をより明確に読者に伝えることで価値が高まるのではないか、ということ。
ケアプロの仕事で日経、朝日、読売、毎日・・・といった全国紙から琉球、河北・・・といった地方紙まで掲載頂く中で、素晴らしい記者の方とお会いし、入念な事前調査→丁重な取材と記事化をして頂いているから、記者の大変さや有難味がよく分かるからこそ思う。
我々も、お客さんにどのような世の中を目指しているのか?どんな思いや価値観でサービスを届けているのか?伝えた気になるのではなく、しっかりお伝えしていきましょう。
伝える力。大切。