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公開日:2015/06/17

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訪問看護の道を選んだワケ

今回はICU看護師から訪問看護師へ転身を図った前田の思いと看護の姿を紹介します。
※ケアプロには前田が二人いるのですが、こちらの前田和哉とは、全国の都道府県から選抜された看護師が集まる会(!?)で知り合い、意気投合。社会を良くするために可能性を信じて突き進む、発明家タイプで、正義の為に戦う男で、見ていてワクワクします。
●自分は看護師といえるのか……
前田和哉は、静岡県西部の基幹病院である浜松聖隷病院でICU看護師として勤務していた。超急性期の医療を必要とする重症患者が来る日も来る日も運ばれてくる。最新の医療技術と手厚い看護が功を奏して一命を取り留めると、無事に一般病棟へと移っていく。
「ICUの看護は、患者さんに寄り添うというよりも『患者さんの命の管理人』といった印象が強く、超急性期の治療を終えれば、私たちの看護は終了です。
患者さんと話をしたくても、命のやりとりをするようなレベルだから叶わないことですし『あの患者さんは障害が残ったかもしれないが、幸せなのだろうか……』と経過が気になっても、個人情報保護の壁に阻まれて、看護の当事者だった私たちですら、カルテで追跡することはできません。
責任は重大でやりがいのある職場でしたが、これは『看護』といえるのだろうか、自分は『看護師』といえるのだろうかと、疑問が次第にふくらんでいったのです」
●これぞやりたい看護
自身の看護への疑問が大きくなるとともに、以前からよく知っていたケアプロの活動が気になってくる。
「若手の訪問看護師が増え始めた頃で、看護師としてのキャリアは浅いのにイキイキと働いていて、充実感にあふれた表情をしている。患者さんに寄り添う看護を渇望していた私には、これこそ自分のやりたい看護じゃないかと思うようになりました」
そして今年3月、前田はケアプロで訪問看護師としての第一歩を踏み出した。先輩に付いて同行訪問から始める。
●利用者さんに寄り添う看護を実感
「ICUには最新の医療機器がそろい、モニターで身体の中の状態を知ることができます。でも、在宅医療の現場には何一つありません。ICUに慣れていただけに、最初はものすごく不安でしたが、今はとても楽しい。
看護の基礎、フィジカルアセスメントで見て・聴いて・触って……を実践し、利用者さんやご家族とたくさん話をして、これこそが看護なんだなと実感しています」
こう話す前田の表情は明るい。
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●「とにかく看護を」利用者さんの思い
訪問看護師に転身して4カ月の前田和哉。在宅での看取りを考えさせられた利用者さんとご家族が印象的だったという。90歳代の母親と暮らす息子さんは、母親の食事量が日に日に減り、徐々に弱っていく様子を受け入れることができなかった。
息子さんは、1日でも長く生きてほしいと延命を願い、訪問看護の介入を要請した。介護ではなく、看護である。「自費でもよいから」と母親への思いの強さがうかがえる。
「延命することが、利用者さんにとって幸せなこととは限りません。老衰による死を迎えようとしているけれど、息子さんは、死を受け入れられない様子でした」
●気持ちに寄り添う
母親の状態に一喜一憂する息子さん。離れて暮らす姉二人は、覚悟を決めている様子だったという。
「息子さんのお話をうかがい、気持ちに寄り添うことで、悔いのないようにしてあげたいとも思いました。一方で、利用者さんの苦痛にならない静かな死を迎えられるように息子さんの気持ちを支えることも必要だと考えました」
●幸せな療養と看取りをめざして
訪問のたびに、息子さんのその時の気持ちをしっかりと受け止めた前田。息子さんも次第に、母親の死を受け入れる気持ちが固まってきたようだった。そして家族に見守られながら、利用者さんは旅立たれたのだ。
「息子さんもとても穏やかで、利用者さんをしっかり看取れたことに満足されたようです。病院では老衰で最期を迎えることはほぼありません。物言えぬ利用者さんの意思に反する延命が行われる場合があるためです」
●穏やかな死のすばらしさ
「このご家族が自宅でお母様を看取られたことは、本当に幸せなケースなのでしょう。訪問看護師になって日が浅いけれど、緩やかで穏やかな死のすばらしさに、初めて気づかされ、看護で関われたことに感謝しています」
ここで出合ったケースが前田の看護に一つの道を作ったようだ。 「たとえ急な事故で重篤な状態であっても、望まない延命を日本からなくしたい、そう強く思いました。訪問看護師としてのキャリアを積み、在宅での療養と看取りの幸せをサポートしていきたいですね」
※「ナース専科コミュニティ WEBマガジン」で連載したものです。
http://nurse-senka.jp/feature/