ナマステ~。インドに武者修行に来ています。
インドに来て思ったことをつれづれなるままに。
※写真は大学1年時からの親友たくま
この度、インド展開でお力添えいただきます。
さて、自分の仕事は、5年後、10年後・・の仕事(組織)を作ること。
インドでの事業展開は中長期的な位置づけ。
そんな思いで、インド展開の準備を進めてきた。
2013年の国際交流基金での日印社会起業家交流事業、
2014年のJICAでの中小企業連携促進事業、
2014年のJETROでのBOPビジネス案件形成支援事業、
2015年の経済産業省での医療技術・サービス拠点化促進事業、
という、幸運が重なって、インド事業準備は加速してきている。
今年のマイルストーンは、
1,現地法人設立
2,現地医療関連法規のDiagnostic Center申請
3,現地人採用や医療機器、パンフレット等の体制整備
4,サービス提供開始
5,事業として継続目処を持つ
である。
前年までに、市場調査、競合調査、自社のビジネスモデル、
事業展開のために必要な条件やパートナーなどについては、
ある程度、整理していた。
今回は、現地法人の責任者となる鈴木敬太と、インドへ向かった。
飛行機の中で、改めて、インドの市場、人口、GDP、雇用、
賃金推移、規制、バンガロールの特徴などを見ていたが、
ふと機内を見渡すと太ったインド人の方が多く・・・、
このような人のために来たんだ、と改めてマインドセットできた。
毎朝、ホテルで朝食を食べ、Uberなどでタクシーを呼んで、
クラクション鳴り放題の渋滞をくぐり抜けて、
バンガロールの都心部や郊外、工場地帯などを行脚した。
大航海時代にヨーロッパ人がアジア・アフリカを見た時と同じで、
私たちにとっても、まだまだ未開拓地であり、現地の案内人が必要であった。
今回も、様々な方からのご紹介で、メールも含め10日間で様々なやりとりをした。
・州や市の保健行政トップ、現地医師、病院、類似業者、医療機器メーカー
・銀行、商社、工場人事部、会計会社、弁護士、人材会社、JETRO、領事館
・VC、ベンチャー、不動産会社、通信会社、廃棄物業者、医療卸
バンガロールには日本人が1,000人以上いるが、
インドでお会いする日本人の多くは苦労されていた。
食、水、汚染、渋滞、文化、人間関係、時間感覚・・・。
梅干しやお茶、酒のお土産は予想以上に喜んで頂けた。
インドで日本政府や日系企業、日本人の方々が、
培ってきたネットワークがあるから我々は事業が始めやすく、
恩恵に感謝すると共に、次に続く方のためになりたいと思った。
インド政府の上層部の方々は、
流石に頭脳明晰で眼光が鋭く、
ビジネスパーソンとして血が騒いだ。
そして法的には問題なく進められそうで胸をなでおろした。
ただ、現地医師と話していると、
ケアプロが参入しようとしても、賄賂のことなど、
インドビジネスは難しいから無理だと嗜められた。
しかし、日本人として、ここでの挑戦は、
大きな成長を遂げるためのチャンス。
バンガロールで最も富裕層が集まるUB Cityで
とあるベンチャーキャピタリストと会食をしている時に、
彼女も「インドでビジネスができれば怖いものなし」
「だから、ここに来た」と言っていた。
昨年、約300人のインド人の健康チェックをした時に、
「生まれて初めて血圧を測った」
「定期的にやってみたい」
「いくら?(実際に日本円で400円程度を払ってくれた方)」
といった反応があった。
“予防”や“健康チェック”という概念がインドではまだないが、
ケアプロという外来種をインドの地で種まきして、
少しずつ育てていけたらと思う。
いずれ、インド史に、こう書き綴られると信じて。
『2015年、日本の検体測定室がケアプロによって持ち込まれた。』
さて、滞在中の8月15日(土)は、インドの独立記念日。
インドが、イギリスから独立して68年。
街中には、インド国旗が掲げられ、
若者はバイクでパラリラ♪パラリラ♪
方や、日本は、終戦後70年。
この約70年で、日本は高度経済成長を遂げ、
成熟社会となったことは自負がある。
もちろん、問題も山積みだが。
GHQの配下に置かれたが、GHQや欧米諸国から学び、
欧米諸国に対峙する力を養っていった。
しかし、インドでは、カーストの名残や汚職など、
正規ルートではうまくいかないことが多く、
これでは、健全な市場は形成されないはずだと思った。
もちろん、インドの良さもあるが。
インドのダメ出しをしていても仕方はなく、
インドの土俵にいる限りは、インドでのルールを
公表・非公表のものまで、しっかりと頭に叩き込み、
インドで威力を発揮するカードを手に入れなければならない。
この日印という対照的な土俵で、
仕事ができる時代に生まれたことだけでも幸せである。
一生で、二つの人生を歩めるようなものだ。
なお、私のインドへの関わりは次第に薄れ、
インド子会社社長が中心を担っていく。
開拓者にとって重要だと思うことを、メモしておく。
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メモ:開拓者する君へ、7つのメッセージ
1,なぜ、その事業ををしているのか?と聞かれた時に、自分事としてミッションを語れ
・自分の意志で取り組んでいることを一人称で語る
・自身の経験や考えに基いて語る
・もちろん、会社の他のメンバーが体験したことも
自分たちの経験として、自分の経験の一部として語れる
・結局、このミッションがなければ、人はブレる
2,とにかく、生き残っていけ
・今、儲かっていなくても、ちゃんと生き延びて、浮上していける道筋があれば良い
・たとえ今は儲かっていても、将来を予想できずに、沈没してはいけない
・事業計画を作れなかったり、資金繰りができず、
目の前の事業にばかり目がいってしまってはいけない
3,とりあえず動きながら、ではなく、重要な課題から取り組め
・仕事が100個あったら、重要な事から取り組むこと
・人から依頼されたから、自分が得意だから、その仕事が好きだから、
ではなく、真に重要な課題に取り組むこと
・もちろん、取り組み方として人に依頼したり、外注することは大切
4,自分と仲間を信じる能力を持ち続ける
・信じられる者は、儲かるという(「信者」)くらい
・信じられるためには、相手が何故そのような行動を取るのかを
理論的に把握することが大切
・何となく、相手のことを信じたり、疑ったりしてはいけない
・信じられることで、お互いに、厳しいことも伝えあい、強くなる
5,どんな環境でも、自分を変化させ、高めていけ
・知的、精神的、肉体的、社会的、経済的に、
ドラクエのように自分のレベルを高めるための機会を自ら作ること
・毎日、ラクで、失敗しない仕事をするのではなく、
意義のあることにチャレンジしていくこと
・経歴や資格、地位などの安住するのではなく、
どのような社会、組織、時代においても生きていく力を養うこと
6,試合が終わった時に、後悔のない試合だったと言えること
・勝っても、負けても、結局は、自分の心が、
その試合に後悔なく、納得していればよい
・勝って当たり前の試合にばかり出て勝っていると、
その気になるので気をつけなければいけない
・逆に、負けていても、意味のある試合には出続ければいい
7,本当に困ったときは帰ってこい
・一旦帰ってきて、羽を休めることも大切
・英気を養ってパワーアップして、また飛び立てば良い
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最後に、南インドには「アガスティアの葉」の予言があるが、
その予言を受けた。
インドでの事業はうまくいくという。
そして、私はいつリタイアするかを聞いたら、
仕事がどんどん増えて80歳以上まで働いているという。
後日、タミル語と英語で書かれた分厚い預言書が手に入る。
実現するように努力していく!
※写真は、鈴木、事務次官、川添、スワスティック様@Jetro